I-36 mother sub with Kamikaze manned torpedo "KAITEN"  伊-36潜水艦 人間魚雷「回天」搭載型
伊-36のペパクラはこのサイト。  Download of this model is here.   http://deguchi-movie.jp/

I-36



IMPRESSION
 2006年に公開された映画「出口のない海」公式サイトからリリースされているモデルです。
 完成全長約88cm!スケール表記がありませんが、実艦の大きさから換算して約1/123.5ってところでしょうか?(何故にこのようなハンパなスケール?)
 これ以上減らしようがないというくらい最小限の部品構成ながら、全体の印象はそれほど悪くなく、ペパクラビギナーでも簡単に大迫力の「伊-36潜水艦」が。

 と思ったら、これがどっこい、世の中そう甘くはないのでありました。
 ビギナーに対する敷居を下げるために(?)部品数を減らしたことが逆にアダとなって、ある意味かえって組み立てが難しくなった感があります。

 インストには「船体がゆがまないように」という注意書きがしつこいくらい書かれていますが、まったくそのとおり。「船体がゆがまないように」組み立てるのは至難の業でありました。
 写真の作例は3度目のトライでようやく形になったもの。(これでもまだ少しゆがんでいるのですが、はっきり言ってもう、力尽きました)
 原因は、部品数を減らしすぎて、フレームやバルクヘッドまでも省略されたためと、のりしろの構成に問題があるためと思われます。

 また、部品数を無理に減らしすぎた結果、ただのテクスチャーにされちゃった錨に始まって、単なる平らな板の対空機銃や艦橋構造物、「いくらなんでもこれは…」というスクリューなどなど、各部の細かいディテールが、部品数削減のあおりをモロにくっており、はっきり言って少々悲しいです。

 なるべく多くの人に楽しんでもらおう、ビギナーでもとっつきやすいように部品数を減らそう、というスタンスは悪くないと思いますが、その割には前述のとおり、一番肝心な船体の組み立てが難しい上、いわゆる「キモ」にあたるパーツのディテールがしょぼい、というのはちょっと…。

 まあ、設計者の方も、クライアントの意向やら、「オレだって分かってんだよ!」と言いたい面もきっと多々あることだと思いますし、フリーモデルですから、あまり文句を言うのも申し訳ないかも。

 ともあれ、はじめに書いたとおり、全体の姿かたちは悪くありませんので、私の場合、スクリューや、機銃、潜舵、艦橋構造物などを自作して、適当に全体のバランスに見合う範囲で少しだけディテールアップしました。(一部分だけ極度に精密にすると、全体的な印象のバランスがかえって崩れます、と言い訳をする)
 材料は、何度も失敗したおかげで余った船体の部品です(笑)

 もっとも、「手を入れたついでに、この際だから、飛行機格納庫とカタパルトを自作して、水上偵察機搭載タイプに改造しよう」などということは、考えない方がよろしいかと。

 あ、あとこの艦に搭載されている「回天」の「波切り」(シート8 の部品番号「51」)は、インストでは「コの字」型に折り曲げるように指示されていますが、実物の「回天」の波切りは、先の尖った「U」字型、というか、砲弾の頭のような形状ですので、そのように作りましょう。
HISTORY
 旧日本海軍が開発した排水量2,198tというかなり大型の(当時としては)潜水艦で、1942年9月竣工。正式には「乙1型 伊号第36潜水艦」と呼ぶらしい。同型艦は20隻。
 (当時日本海軍は排水量1,000t以上の潜水艦を「伊号」、1,000t未満500t以上を「呂号」、500t未満を「波号」と称していたそうだがイロハって…もうちょっとセンスのあるネーミングにならなかったのだろうか?)

 さて、その頃の日本潜水艦隊の主要任務はふたつ。
 ひとつは敵艦隊の根拠地近くに長期間潜伏して、その動向を掴み、敵艦隊が出撃したならばこれにまとわりついて攻撃を反復し、その戦力をそぎ落とすこと。
 もうひとつは、我が主力艦隊に随伴して、「艦隊決戦」前にその露払いをすることであった。(…例によって「艦隊決戦」が本業、他国の潜水艦のような「通商破壊」はアルバイトだったわけね)

 で、この伊36は、前者のタイプで、偵察能力を高めるため、当初は水上偵察機を搭載し、これを発進させるためのカタパルトと水密性の格納庫を装備していた。(潜水艦に飛行機を載せよう、というアイデアは各国で試みられたが、「実用」として運用したのは日本だけ)

  ただ、大西洋でドイツのUボート群が、一時は英国を餓死寸前まで追い込むほど「通商破壊作戦」に活躍したのに対し、太平洋での我が国の潜水艦隊の戦果は、一部の例外的なクリティカルヒットを除くと、全体的には今ひとつ、という印象が拭えない。

 当時の潜水艦は水中速度がどれもせいぜい7〜8ノット程度で、潜航していられる時間も短かく、対潜艦艇に発見されたら逃げ切るのはかなり難しかった。
 そんな潜水艦の最大の持ち味は「どこに居るか判らない」というステルス性。「深く、静かに潜航せよ」である。
 だから逆説的ではあるが、敵を魚雷攻撃すること自体が、潜水艦にとっては自己の存在を暴露する極めて危険な行為だったのだ。

 日本海軍の潜水艦は、高速、大航続力、「酸素魚雷」の強力な打撃力、あのドイツでさえもその技術を欲したという自動懸吊装置(水中でのホバリングを自動制御する装置)など、カタログスペックは一見悪くないのだが、ソナーなどのセンサー類がしょぼかった上、肝心の静粛性が当時の水準でも相当劣っており、「ジャップの潜水艦は水中で太鼓を叩きながら走っている」とまで言われたらしい。

 このように頼みの綱の「ステルス性」に劣る日本潜水艦が、商船よりもはるかに警戒厳重な「主力艦隊」を主に狙おうというのだから、成果がイマイチ上がらないのも当然と言えば当然で、後には米艦隊の目を盗んで孤立した島への物資輸送、などという雑役までさせられ、いたずらに消耗していった。

 この伊36も、敵レーダーや対潜兵器、対潜戦術の発達で、悠長に浮上して飛行機など飛ばしていられる状況ではなくなり、このモデルのように、カタパルトや格納庫を取っ払い、人間魚雷「回天」の母艦に改造されてしまった。

 とはいえ、この伊36は幸運にも、大戦をなんとか生き残ることができた数少ない潜水艦である。同艦から発進した「回天」搭乗員は別として…。
 伊36は戦後、(1946年4月)五島列島沖で海没処分となった。  



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