U-Boat type VII C  Uボート タイプVII C
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U-Boat type VII C


IMPRESSION
 いやはや、設計に着手してからリリースまで、なんと4年もかかってしまったという私のペパクラ歴最大の労作(汗)
 資料的には知名度の高いネタだけあって、割と豊富に手に入れることができましたが、それでも写真資料では「肝心なところにクルーが写りこんでいて邪魔!」とかいうことがしばしば。

 また、ご承知のように、私は3Dモデリングソフトを持っていないので、いつものように寸法的バランスは「目見当」、定規と鉛筆、ディバイダーをたよりに作ったわけですが、このように微妙な三次局面が折り重なっているものを、手作業だけで型紙に起こそうというのは、やっぱり「無茶」というもので、ここまで来るのにどれだけの森林資源(紙)を犠牲にしたか判りません。

 部屋には失敗した試作品の船体がゴロゴロ。まるで敗戦直後のドイツ造船所のような景色になりました(笑)

ホントは「U-96」とか「U-551」みたいに有名な艦に特定したいところでしたが、建造に当たった造船所とか時期によって、結構細部が異なるもんで、結局「平均的にはこんな感じ Uボート」になってしまいました。

 迷彩柄や、「笑うノコギリザメ」マークのUボートが欲しかった、などなどのご不満もございましょうが、ごめんなさい、これが精一杯でした。

 そんなこんなで、さんざん苦労した割には、できあがってみると部品の(特に船体)のフィットネスがイマイチだったり、「あ〜、やっぱり3Dソフト買わんといかんのかなあ…」としみじみ己の力量不足を思い知らされたり。

 と云うわけで、多分、歴代最も作りにくい作品です(ごめんなさい)。

 それでも、とにかくこうして完成に漕ぎつけられたのは、資料提供や励ましなど色々と面倒を見てくださった、ドイツ在住のモデラー「Omykron」氏のおかげです。
 この場を借りて、深く御礼申し上げます。

As you know, I haven't 3D modeling software.
So,I finished up this work with the ruler, pencil, and divider.
It was very hard work.

My thanks goes to Mr,Omykron. Without your help in this modeling,it couldn't have been accomplished.
     

HISTORY
 第2次大戦中のドイツ潜水艦といえば、ご存じUボート。
 で、この「Uボート」という名称は、ドイツ語で「ウンター・ゼー・ブート」の略。英語なら「アンダー・シー・ボート」要するに「潜水艦」という意味である。
 従って、ドイツ以外の国の潜水艦も、ドイツ語では全部「Uボート」になるわけだが、ここでは便宜上(笑)ドイツ潜水艦に限って「Uボート」ということにする。

 第一次大戦で本格デビューした「Uボート」は英国のシーレーンを荒らしまわり、さんざんひどい目にあった連合国は、同戦後の「ヴェルサイユ条約」で、ドイツの潜水艦保有を禁止する。

 が、ヒトラー政権誕生以前からドイツ海軍は、連合国の目を逃れるため、ダミー会社を国外に設立してするなどして、潜水艦建造技術の温存と、発展を図っていた。

   そして風雲急を告げる1930年代頃から、ドイツは密かに自国海軍用に様々なタイプのUボートを建造していたが、この「タイプVII」は最も活躍した形式となった。

 UボートVII型は、1936年8月に就役したU-27以降、敗戦の1945年1月に艦籍に入ったU-1308まで、「タイプVII A」「タイプVII B」「タイプVII C」及びその派生型を含めて700隻以上が建造された。
 とりわけ、今回のモデルとなった「タイプVII C」型は577隻という最多建造数を誇り、「VII型」の、いやドイツUボートの主力ともいえる形式であった。

 「VII型」は他国の航洋型潜水艦と比べると小ぶりで、その分乗員の居住性が犠牲になっており、映画「Uボート」(原題「Das Boot」)にもその辺が描かれている。
 速度性能などのカタログスペックは、他国の潜水艦とおおむね同等であったが、小型な分、水中機動性に優れ、なんといってもその堅牢な構造は特筆に値する。

 「VII型」の安全潜航深度は100m。ここまではまあ他国並みなのだが、ここからがすごい。
 日本海軍を始め、他国の潜水艦の限界深度は、おおむね安全潜航深度の1.5倍程度ってのが相場だったのだが、このVIIC 型の限界潜航深度は安全深度の2倍プラス60m!圧壊深度は300m余り(!)という、当時としては常識破りの頑丈さであった。

 さて、第2次大戦開戦。
 島国である英国には兵糧攻めが有効である。
 英国向けの輸送船を毎月あるトン数沈め続けることができれば、ほどなくして英国はバンザイせざるをえなくなるはずであった。

 で、計算上、大西洋に100隻のUボートを展開できればそれが可能になると見積もられた。
 しかし、洋上に常時100隻を展開するということは、現に作戦中の艦100隻、作戦海域への往復中の艦100隻、補給、整備中の艦100隻、つまり300隻が必要なのだ。
 が、開戦時ドイツ海軍が保有していたUボートは56隻。さらに大西洋まで遠征可能なタイプは22隻という状態。全然足りん!

 などとボヤいていても仕方がないので出撃するUボート。
 英国海軍はすでにアスディック(ソナー)を実用化していて、船団の護衛艦艇に搭載しており、この水中音波探知機があればUボート怖るるに足らず、と思っていた。

 しかしUボート艦隊は、水中しか探知できないアスディックの裏をかき、昼は水中で息を殺して日没を待ち、夜間の海上を浮上航行して船団に接近(当時はまだレーダーがしょぼかったので、シルエットの小さいUボートを、夜間に発見するのは難しかった。)仲間のUボートを呼び寄せ、数がそろったところで一斉に四方八方から船団に襲い掛かるという「ウルフ・パック」狼群戦法と呼ばれる戦術でかなりの戦果を挙げた。

 英国にとって、この被害は深刻で、ドイツ海軍の灰色狼のために、一時はマジ顔で「このままドイツに降伏せにゃならんのやろか?」というかなりヤバいところまで追いつめられた。
 が、そこはしぶとい英国(笑)
 数学者や統計学者まで動員しての対潜戦術や船団護衛方法の研究、レーダーや新型対潜兵器などのハードウェアの発達、暗号の解読、制空権の優越を利した航空機の活用、アメリカの援助と参戦などなどが功を奏し、次第にUボートを圧倒していく。

 特にレーダーが発達して小型艦艇や航空機にも当たり前に搭載されるようになると、Uボートは昼間はむろん夜間でさえも安心して浮上できなくなった。

 やがては波間にちょいと顔を出した潜望鏡やシュノーケルの先っぽさえもレーダーに発見されるようになってしまい、攻撃はおろか自分自身が無事でいること自体が困難になっていった。
 大戦末期になると連合軍によって拠点となる港湾も奪われ、最終的にドイツは敗戦。
 大西洋からUボートの脅威は駆逐されたのであった。

 ある資料によれば、1939年9月から1945年5月までに、ドイツ海軍は1020隻のUボート(VII型以外のUボートも含む)を就役させ、うち洋上作戦中に755隻を喪失している(撃沈以外に行方不明を含む)
 この損失と引き換えに商船約2840隻、1400万トンが沈められた。

 この戦いでUボート乗組員4万名のうち3万名が失われ、一方の輸送船団から失われた人命もまた3万名だそうだ。
 戦争とはつくづく不毛である。
 


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