Old Imperial Japanese Navy Kamikaze manned torpedo "KAITEN"   旧日本海軍 人間魚雷「回天」
「回天」のモデルは、こちらからダウンロードできます。 Download of this model is here.  http://www.renova-model.com.pl/index.php?f=free

kaiten



"KAITEN" that is the name of this Kamikaze weapon mean "The fate reversal" .
In a sense,it's a sorrowful name.

By the way,what do you think about "Kamikaze Soldiers"? Do you think that they were "the fanatic soldiers"?
Actually,most Kamikaze Soldiers were not the fanatic soldiers.
Certainly,they were writing, "I'm proud to die for the emperor" in the last letter to the family in many cases.
But in those days, all letters were inspected. Therefore, it was not possible to write in "I don't want to die", "Kamikaze is unwilling", etc the letter.
If such a letter was found to the sensor, the person (The family too) who had written a letter was considered to be a traitor.
So The Kamikaze Soldiers wrote there real intention in there final letter carefully.
In most cases, they left the real intention to the sentence in which it worried about their own family.

Would you watch this movie uploaded to "YOU TUBE"?
"YOU TUBE" movie "The final letters from KAMIKAZE"
It might change your image about Kamikaze Soldiers a little bit.


IMPRESSION
 ネタがネタなだけに、すごく「重い」"HISTORY"になってしまったあとで、製作の感想を書くのは結構アレなんですが、気持ちを切り替えて。

 え〜、こちらも、「ネーガー」と同じサイトから提供されているフリーモデルです。
 縮尺1/25、完成全長約56cm、と結構ボリュームがあります。
 リサーチもかなり気合が入っていて、全体の印象に特に不満はありません。
 再現されているディテールから察するに、モデルは「回天一型改一」。
 おそらく靖国神社の遊就館に保存されている実艇を取材したのではないかと思われます。(私自身は地方居住者なので、靖国神社は遠すぎて行ったことはありませんが、入手できた写真などから判定して、そのように思われる、という意味です)

 ただ、スクリューのブレードが少し細すぎて、華奢すぎるかな?というイメージはあります。
 実艇のスクリューブレードは、写真から判断するともう少し幅が広い印象なのですが、作例はそのまま作っています。
 気になる方は修正してください。

 あと、これも個人的印象ですが、ノーズの先端パーツ(2ページ目のパーツ「1」)は少し高さが足りない感じだったので、同じページのパーツ「16c」を代わりに使うと、作例のような感じになり、個人的には実艇のイメージに近くなったと思います。
 もちろんこれは、あくまで個人的な印象なので、本来のパーツ「1」でも問題ないとは思います。「高さが足りない」と云っても、なんせコンマ何mmレベルの話ですから(笑)(でも、そのコンマ何mmの違いでえらく印象が変わることってありますよね?こういう模型では)

 それから、インストには「説明文」がないので判りにくいんですが、テールフィンの縦舵は、作例のようにくり抜いてから、2ページ目のパーツ「15a」「15b」を取り付けましょう。実艇と同様の構造になります。

 ちなみに、針金で作るように指示あるパーツ「szablon V - stz.1」は、この上下に分かれた縦舵のパーツを連結し、可動させるための「シャフト」です。(私はめんどくさかったので、あっさり固定してしまいましたが)

 このモデルも、後部配管など、一部針金で作るように指示されたパーツがありますが、私は例によって「全て紙」で作っています。実艇ではこの配管パーツは、作例のように「取り付け具」がはっきり確認できるので、自作すると「存在感」が増すと思います。

   あと、細かいことですが、テールフィンに描かれている「軍艦旗」、「左舷」のは前後が逆になってますね。
 設計担当者!単にパーツ「14a」を反転させただけだろ!(笑)状態なので気になる方は、薄紙にパーツ「14a」をプリントして「デカール」みたいに貼るなどするとよろしいかと。
…ていうか、そもそもここに「軍艦旗」を記入した「回天」ってあったのかな?

 あ、それから、表紙のページにKAITEN(Japanese toropedo)って書いてあるけど、これって単に「日本の魚雷」って意味でしょうが?
 「回天」って、もっと「重い」存在なんだけどなぁ…。  

HISTORY
 太平洋戦争末期、旧日本海軍が使用した「特攻兵器」。
 現在では誤解が多いようなので注釈すると、「特攻」(「特別攻撃」の略称)という呼称は本来、多くの人がイメージする「自殺攻撃」を意味するのではなく、単に正攻法の部隊運用によらない特殊な攻撃、文字通り「特別な攻撃」方法全般を示す用語であった。
 つまり、現在も行われている特殊部隊などによる潜入攻撃作戦なども「特攻」のカテゴリーに入るわけである。

 そしてこれも「意外!」と感じる人が多いと思うが、それまで日清・日露戦争の昔から、日本海軍には「決死的作戦や」「決死的兵器」(命がけではあるが、生還の見込みがゼロではない)は許可するが、「必死」(必ず死ぬ)作戦や兵器は許可しない、という伝統があったそうだ。

 で、太平洋戦争。
 その末期の1944年、太平洋の島伝いに反攻してきた米軍は、すでにその大半を勢力下に収め、日本軍はついにフィリピンにまで押し戻された。
 ここを護りきれなければ、次は日本そのものが標的、という状況下、米国のフィリピン攻略部隊を殲滅すべく、連合艦隊の残存勢力のほぼ全力をつぎ込む「捷一号作戦」なる艦隊作戦が発動された。

 なにがなんでも成功させなければならないこの作戦援護のため、「この一回だけに限り、『特別』に爆弾を抱いた戦闘機による体当たり自殺攻撃を『志願者』により行う」ことになった。
 「必死」は許可しない伝統が破られたのだ。  これが「神風特別攻撃隊」の始まりである。
 当初は「神風(しんぷう)特別攻撃隊」と呼ばれていたが、いつしか「カミカゼ」に呼ばれ方も変わった。

 作戦の結果?お察しのとおりです…。詳しく書くスペースがないので、ここでは割愛。気になる方は、Wikipedia あたりを見るのがお手軽かと。

 で、以後は「特別」のはずだった「体当たり自殺攻撃」が日本軍の常用戦法となってしまい、ついには「志願者」によるはずだった「特攻」も「志願を命令」されるように変わってしまったとか。
 もっとも当時の日本は、そもそも「志願するか?」と聞かれて「しません」と言える環境じゃなかったが。

 で、この「体当たり自殺攻撃」が「特攻」と呼称され、その凄惨且つ悲劇的な戦いのインパクトの大きさと相まって、いつしか「特攻」と云えば「体当たり自殺攻撃」を意味する言葉と解釈されるようになってしまった訳である。

 この「回天」も、人間が魚雷に乗り込んで操縦し、敵艦に体当たり攻撃を行うという自殺兵器であり、名称の「回天」とは「天を回す」すなわち「天命を覆す(運命をひっくり返す)」という意味を持ち、当時の敗戦街道まっしぐら状態を、搭乗員の命と引き換えに何とかしたい、という哀しい名称である。

 さて、この回天、「人間魚雷」というだけあって、元々は普通の、いや世界的に見てもかなりスペックの高い「魚雷」。
 「九三式酸素魚雷」という水上艦発射型の無誘導魚雷がそれで(潜水艦発射型は「九五式酸素魚」と呼ばれ、ふた回りほど小さい。)1936年採用。
 おおざっぱに同時期の米英の魚雷と比較してみると、射程距離で4〜5倍、速度で10%〜20%増し、炸薬量で約1.6倍。おまけに雷跡(映画の魚雷発射シーンで海面に白い帯が伸びていくアレ)を残さない特徴があったから、撃たれる側からみたら厄介なことこの上ない魚雷である。
 その威力はすさまじく、米軍はこの魚雷を「ロングランス(長槍)」と呼んで怖れ、「日本駆逐艦との交戦時には横腹を見せるな」が合言葉になったそうだ。

 とはいえ、いくら長射程でも、戦闘行動中に一定進路、速度で動いてくれる敵艦はいないので、誘導装置の無い当時、命中を期待できる距離にはおのずと限度があり、回天の生産が立案される頃には、さしもの九三式酸素魚雷も活躍の場を失い、倉庫に山積みとなっていた。(空も、海も完全に制圧されていて、有効射程に接近するどころか、魚雷を発射しに行くこと自体ができなくなっていたのだ)

 この出番を失った酸素魚雷を見て、水上艦が接近できず、また遠距離攻撃で命中率が下がるなら、人間が操縦して「目のある魚雷」になればいい、射程距離までの接近は潜水艦の甲板に搭載すれば隠密裏に可能、という発想からこの回天は生まれた。 が、その生い立ちは少し変わっていて、上層部ではなく、現場レベル、自らが搭乗する立場の側から「こういう兵器が必要だ!」の発案で採用されている。
 哀しいほどに若く純粋なその気持は、理解できなくもないが、「回天」は兵器としては極めて不完全な代物であったと言わざるを得ない。
 スペックは、速力/航続力:30 kt/23,000 m、20 kt/43,000 m、10kt/78,000 m、 最低航行速度:3 kt、 乗員:1 名、 炸薬:1.55 t(普通の魚雷の3〜4倍!確かに、命中さえすれば戦艦でも致命傷)

 だが一方で、魚雷が母体のため、後進ができない。
 旋回半径が大きすぎ、機動性が著しく劣る(本来直進しかしない魚雷出身だから)
 命中するためには当然敵の位置を把握しなければならないが、センサー類も潜望鏡やジャイロスコープしかなく、そのため動いている敵艦を補足し、都合良く命中するのは困難を通り越して至難の技で、前述の通り機動性に劣るため、細かい操艇が要求される泊地攻撃にも適さない。
 動力機関の扱いが厄介で危険な上、発進後も搭乗員は燃料消費に伴い刻刻と変化する浮力調節をしながら、ナビゲーション作業なども独りで行わなければならない。
 当時の魚雷は全て対水上艦用のため、耐圧深度が80mしかなく、搭載母艦潜水艦が敵対潜艦艇に発見された場合の退避行動の支障となった。(回天のせいで深く潜航できないから)
 回天はその性格上、ちゃんとした戦果の確認は事実上無理(戦果が確認できなければ、以後の作戦は立てようがない)等々の問題を抱えており、率直に言って犠牲に見合った成果(という表現も嫌だが)が期待できるような代物ではなかった。

 そもそも「特攻専用兵器」として開発されたものにはロクなのがない。
 「桜花」しかり、「震洋」しかり、「剣」しかり「伏龍」しかり、その他も全部!
 どれもこれも「特攻兵器」というより「犬死兵器」ばかりだ。(もっとも「特攻戦術」自体が言語道断なんだが)

 ある資料によれば、終戦までに訓練を受けた回天搭乗員1,375人中、実際に出撃戦死した者87名、うち発進戦死49名(てことは母艦潜水艦もろともの戦死38名?)訓練中に殉職した者15名、終戦により自決した者は2名。
 そして、回天母艦として出撃した潜水艦は16隻、出撃延べ32回、うち8隻が対潜攻撃により回天もろとも、あるいはその帰路に撃沈されている。
 言うまでもないが、発進戦死した回天搭乗員も全員が「命中」したわけではない。むしろ命中者の方が稀であったと思われ、さぞかし無念であったことと思う。

 回天搭乗員のみならず、未来への夢も、愛する家族も、青春の謳歌もすべてを投げ出し、これら「犬死兵器」に乗せられ、生還の余地の無い戦いを要求された多くの「特攻隊員」達の心情を想うと、あまりの不憫さに涙が止まらない!

 彼らがそうまでして護ろうとしたこの国(体制としての国家ではなく、故郷としての国)に生きる私たちは、彼らに「安心して休んで下さい。ほら、ちゃんとこのような国になっていますよ」と自信を持って言ってあげられるだろうか。      


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