IMPRESSION 珍しくjpg形式でアップされているモデルです。(潜水艦のペパクラ自体が珍しい、と言えなくもないですが) パーツ数は多くありませんが、「一体パーツになってしまっているが、別パーツの方が作りやすい」という部分もあります。 特に船体パーツは、くっついた扇型のパーツをバラした方が整形しやすいと思われます。 船体断面をきれいな円形に保つためにバルクヘッド(フレーム)も自作した方が良いでしょう。 セイル(司令塔)についている潜舵(セイルプレーン)も、写真を見ると実物はもっと前縁に後退角があるので(ほとんどデルタ翼の先端を切り落としたような感じ)私は自作しました。 また、展開図ではスクリューが3枚翼ですが、実物は5枚翼だったらしいので、これまた自作。 時代的に、翼がブーメラン状になったスキュードプロペラではないだろうと勝手に判断して作例のような形状にしてみましたが、詳細な形状は不明です。(潜水艦のスクリュー形状は、現役を退いてもあまり公開されません) あとセイルの上端がまっ平らだったので、ちょっと手を加えて作例のように「盛り上がり」をつけてみました。 そのほか、写真などの資料を見る限り、実物の船首はもっと先細りになっているようですが、そこまで直すと自分で設計するのと変わらなくなるので、やってません(笑) パーツのほぼ全部が黒いので、パーツ断面の着色は必修科目になります。めんどくさいですが。 |
HISTORY 1959年に就役した世界最初の「涙滴型原子力潜水艦」で、全6隻の同型艦が建造された。 誰かに「潜水艦の絵を描いてね」と頼めば、ほとんどの人がこんな感じの「潜水艦」を描くであろうという姿は、この艦によって確立されたと言える。 さて、これに先立つ1954年、世界最初の「原子力潜水艦」ノーチラス号(SSN-571)が就役、従来の通常動力潜水艦の宿命とも言うべき「息継ぎのため時々水面に顔を出す」という義務から潜水艦を解放し、NATO演習でも圧倒的優位を示して「原潜ってすごいぞ」という評価を確立させた。 ノーチラスの成功を受けて、初の「量産型原潜スケート級」6隻が建造されたが、これら黎明期の原潜の外観は従来の潜水艦(つまり水上航行を考慮したもの)とあまり変わらず、潜航時間こそ事実上無制限となったものの、原子炉が生み出す高出力を生かして水中での高速を発揮することは難しく、いまいち「原潜」の能力を最大限に引き出したものとは言えなかった。 そこで、実験潜水艦アルバコア(通常動力)によって得られた成果「流体力学的に洗練された涙滴型船体」と核動力の強力なパワーをセットにして建造されたのがこのスキップジャック級である。 スキップジャックは目論見どおり水中速度30ノット(29ノットという資料もあり)を達成、後のロサンゼルス級の誕生まで米海軍の実戦用潜水艦の速度記録保持者となり、「完全に水中戦に特化した新時代の潜水艦」となった。 ただし、水中最高速度発揮時の騒音はハンパじゃなかったらしく、「スピードはいいけど、潜水艦は静かでなきゃね…」という問題も提起し、以後、静粛性と速度性能、そして潜航深度の折り合いをつけるための研究が進められていくのであった。 余談だが、当時ソ連によるスプートニクの成功で弾道ミサイル競争に後れを取っていた米国は、この「ミサイルギャップ」埋めるべく、1960年に世界最初の弾道ミサイル潜水艦「ジョージ・ワシントン(SSBN-598)」を配備するが、これは建造途中だったスキップジャック級3番艦(「スコーピオン」になるはずだった)の胴体をぶった切り、ここにミサイル区画を埋め込んで急造されたものである。 そして、今度はソ連がこれに危機感を覚え、急きょ建造した弾道ミサイル潜水艦が、ハリソンフォード主演の映画にもなった「K-19」である。 でもって、本当にこれの3番艦として完成した「スコーピオン(SSN-589)」は、1968年アゾレス諸島沖で事故のため沈没している。原因は魚雷の暴発ということになっているらしいが、真相はいまいちスッキリした形では明らかにされていないらしい。 という訳で、なにかと話題のネタ元になってる潜水艦なのであった。 |